史上空前の三八(さんぱち)豪雪

 昭和38年の冬は別名、「三八(さんぱち)豪雪」とも呼ばれ、未曾有(みぞう)の大寒波が日本列島を襲った。
 全国的に風雪と低温による大被害に見舞われ、特に北陸では豪雪のために陸の孤島と化した。
 当時の記録によると新潟県の長岡市では3メートルを超える記録的大豪雪となり、この冬の雪害による死者は228名、負傷者356名、家屋倒壊753棟となっている。
 各地で死者行方不明、家屋の全半壊など雪による被害は史上最大規模となった。
 当時の天気図を眺めると中国大陸奥地からの大陸高気圧は私の経験した1070ヘクトパスカルを超えるほどのものではなかったが寒気の吹き出しに伴う寒冷前線は何本も描かれており、近年ではほとんど見られなくなった持続型の冬型であった。
 「西高東低」の冬型といっても様々あり、大陸高気圧の勢力が強い「押しの冬型」、オホーツク海で低気圧が小型台風並みに発達する「引きの冬型」などがあるがこの年の冬は両者が拮抗(きっこう)し「持続型」の冬型が多かった。
 近年は温暖化のためか北極方面で強い高気圧が発達しなくなってきた傾向にある。
 従ってオホーツク海で低気圧の発達する引きの冬型は見られても「拮抗型」の冬型は見られなくなってきた。
 もう一つ、北半球天気図といい北極方面の上空から見たスケールの大きい天気図がある。
 この天気図で見ると分かりやすいがこの寒波の原因は三波型と呼ばれ、北極からの強い寒気団が一つは日本付近へ、一つがアメリカ方面へ、もう一つがヨーローパ方面に流れ出すパターンである。
 近年は余り見られなくなったがこのような気圧配置になると寒波になりやすく、この年の冬はそんなパターンに入っていたと思われる。
 この時の寒波による被害は全国の陸海空に及んだ。
 あまり知られていないが温暖な明石海峡周辺でもマダコが壊滅的打撃を受けた。
 マダコは海水温が12度以下になると岩場やタコ壺などに潜り込んで春を待つが、この時はタコの生死の限界水温とされる5度を下回ったとされている。
 従って現在の明石蛸は当時放流した天草蛸の子孫ともいわれている。
 近年は真冬であっても持続型の冬型は殆ど見ることはなく、平気な顔をして移動性高気圧がやってくるようになった。
 これらのことから見ても温暖化という3文字が不気味に思えてくる。