吟行(ぎんこう)
古い話になるが神戸海洋気象台の俳句サークルに参加したのは私が入社間もない頃であった。
会の指導者は俳人・大野林火の流れを汲む予報官であり、俳号は生意気にも季節の香る子という意味で「季香子(きこうし)」と名付けた。
会のメンバーが所属していた句会の名は「ひこばえ」であり、月5句の投稿が苦痛で3句詠むのも大変であった。
「ひこばえ」とは樹木や米の切株から生える若芽のことで季語が春ということを初めて知ったのもその頃である。
楽しかったのは春夏秋冬ごとに出かけた「吟行」であった。
吟行とは各地の名所旧跡などを訪ね俳句を詠むことである。
近場では六甲山をはじめ美しい地名が並ぶ須磨から明石など瀬戸内沿いもよかったが遠くは奈良・京都にまで足を運んだ。
当時のお寺さんは拝観料(はいかんりょう)などはなく前もって場所の提供をお願いすると心よく了承して下さり、そこで互選による作品の講評を行なっていた。
今も心に残っているのは「お夏清十郎」と「遊女の発祥地(はっしょうち)」で知られる姫路市室津での先輩の句である。
「鼻梁(びりょう)すがし木彫(きぼ)り如来(にょらい)に花の冷え」 (播州)
この日は早春の明るい日差しはあったが風花(かざはな)の舞う寒い一日であり、暗いお堂の中で凛(りん)として清々(すがすが)しい顔の如来像(にょらいぞう)が印象に残っている。
素晴しい句で句会の方は数年で頓挫してしまったがこの体験は気象人としての自然を見つめる感性を広げてくれたと思っている。
「受けた恩は何処かで返せ」ではないが先輩達から教わったまね事として退職前には若い職員からの俳句を集め職場に飾っていた。
中には大阪造幣局の桜の通り抜け俳句で入選した作品もあったが何より嬉しかったのは退職の際に女性職員から「初めての俳句は楽しかった」といわれたことである。
もう一つ最後に自慢話を聞いて下さい。
阪神淡路大震災の生放送でも会話をしていた俳人で「おはよう○○」というラジオ番組の女性キャスターのパーティーでいきなりペンと短冊を渡された。
番組のタイトルにちなんだ俳句を作れといわれ100名前後の主席者の中でなんと私の「おはようの声しみじみと霜に染む」が1位に選ばれてしまった。
決して披露できるようなものではないが退職前の懐かしい思い出となった。