詫び寂びの心
「詫び寂び」とは日本独特の美意識といえるが一体何なのか。
説明されても理解しがたい所があるが辞書をひも解くと「詫(わ)び」とは一言でいうと不完全さの魅力ということになるそうだ。
元々は侘(わび)しい、思いわずらう、悲しむ嘆くということらしい。
そして「寂(さ)び」とは古びた落ち着きとあるが、要は趣(おもむき)を感じとるということになるようだ。
説明されてもまだよくわからない所があるが感性とか精神性に繋(つな)がるものと理解をした方がよいのであろう。
確かに桜や紅葉の散り際を眺めていると儚(はかな)さを感じ、苔(こけ)むした庭や枯山水からは人生を感じさせられるような気がしてくる。
何かを感じ取って綴(つづ)った文学といえば和歌・俳句といえるが詫び寂びの心は芸術、文学、思想などにも引き継がれており、その心を茶の湯に託したのが千利休といえるのではないだろうか。
よく似た言葉に「風流」があるがこちらの方は上品で雅(みやび)とか優雅で格調高いなどという意味がある。
多くの外国人が来日して見るもの全てが珍しいというのは世界にない独特の歴史・文化というだけではない。
日本の心と発想の豊かさに共感し、心を動かされるからこそではないかと思われる。
そんな日本人を育てたのが日本の四季自然であり、先人達の感性があったればこそである。