竹の秋

 「ひとりひっそり竹の子竹になる」(山頭火(さんとうか) )
 暗い竹藪の中において、誰に教わることもなく真っすぐにスクスクと育つ竹の子の姿を、自分の生い立ちと比べたものであろうか。いかにも山頭火らしい句である。
 彼も小林一茶と同じように壮絶な境(きょうがい) 涯を送ったとされるが、その作風は何でもないようでいてハッとさせられるような句が多い。何事においても、常に鋭い感性で物事を捉えていたのではないかと思われる。
 竹の子は竹かんむりに旬で「筍(たけのこ) 」とも書く。「旬」は上旬、中旬、下旬の〝旬(しゅん) 〟であり十日間を意味する。即ち、竹の子は十日もすると親竹になるといわれるほど成長が早い。
 その筍を育むのが「筍流(たけのこなが) し」といわれる暖かな南風であり、「筍梅雨(たけのこづゆ) 」とも呼ばれる春の雨である。
 それにひきかえ人の子育てはもどかしく難しい。世の中が豊かになったためか今や親の背中を見せるだけでは子は育たない時代となってしまった。
 ものは言わぬが親竹もこの時期は子供に栄養を奪われるためか、葉は次第に黄ばみを増してくる。その姿には何をかやを感じざるを得ないものがある。
 この現象を俳句では「竹の秋」と呼び、青葉若葉の季節と対比させて春の季語としている。逆に「竹の春」といえば秋の季語となる。

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