囲碁と俳句
気象界においてはひと頃、囲碁と俳句の盛んな時代があった。嘘(うそ) か誠(まこと) か定かではないが当時の気象庁はこの両者を奨励(しょうれい)していたという。
先輩の話によると、囲碁は局部的にも大局的にも注意力を持って見なければならず、先を読む力を養う!俳句は自然を見る目と季節感を養う!従って気象従事者にとっては両者とも役に立つと語っていた。
以来、私にとっては囲碁と俳句は生涯の友となってしまった。
確かに天気図は地上から上層へと何枚も解析し、局地的なものから地球規模のものまで把握しなければならない。地形的に発生する小さな低気圧であっても見落とすと予想がはずれ、北半球天気図やジェット気流の流れも把握していないと大局を見失う。
経験が浅いと天気現象を過小評価したり、過大評価してしまうことがあり、数字で表せない体感温度の表現も季節感がないとピントはずれになることがある。
一概に囲碁でいう「勝手読み」の話でもないような説得力があった。
今や気象界はコンピューターが予報官に取って代わる時代となったが、コンピューターが勝てない最後の砦(とりで) と言われていた囲碁もまた、トッププロが敗れるという事態が起こってしまった。学習能力を備えた人工知能とはいえ、想像力(創造力)まで身につけてきたとなると空恐ろしい気がする。
いよいよ「経験に勝るものなし」の言葉が消え、ロボットが人の職まで奪う時代がやってくるのであろうか。