一筆啓上、火の用心

 「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」
 徳川家康の家臣、本多作左衛門重次が、長篠(ながしの) の合戦(徳川・織田連合軍VS武田軍)の陣中から妻にあてた日本一短い手紙とされている。
 火事はすべてを焼き尽くす恐ろしいものなので呉々も注意せよ!後継者であるお仙をしっかり育てよ!馬は合戦にとって武将の命と同じであることを心せよ!という意味である。
 七五調で言いたいことを簡潔にまとめており、あとは行間を読み、万一の時はよろしく頼むということが察せられる。
 長篠の合戦は初夏の頃に火蓋(ひぶた) が切って落とされたが、火事は今も昔も冬から春先にかけて多く、月別では二月から三月が最多となっている。
 当時の家屋は木造と藁家(わらや) が多く、世界最大の都市ともいわれた江戸市中であれば、どこかで火の手が上がればたちまち大延焼 (だいえんしょう) を起こした。中でも四代将軍徳川家綱時代の「振袖(ふりそで) 火事」と呼ばれる「明暦(めいれき) の大火」は、史上最悪の大惨事となった。
 その後、八代将軍の徳川吉宗は繰り返される大火を教訓に、側近の大岡忠相に命じて火消し制度を作ったとされる。「いろは組」・「火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため) 」・「火事と喧嘩(けんか) は江戸の華(はな) 」などからも、江戸幕府がいかに火事対策に手を焼いてきたかが窺(うかが) える。
 気象台では今も木材の乾燥度合を表す「実効湿度」を計算し、乾燥注意報を発表している。

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