花嫁修業

 女性の生き方や価値観の変化のためなのか?古臭 (ふるくさ) さのためなのか?
 「お茶・お花は女のたしなみ」とした「花嫁修ふる業」なる言葉は、すっかり死語となってしまった。
 お茶お花は元々僧侶や文化風流人など男社会のものであったが、いつのほどからか女はかくあるべしという観念を茶華道という一つの枠組みの中にあてはめてしまった。
 その押しつけがましさが敬遠されたのか時代の流れなのか、とにかくお茶や生け花教室から若い女性の姿が消えて久しい。男の価値観をおしつけてしまっていたのかというと必ずしもそうでもない所はある。
 茶華道には日本人独特の「もてなしの心」や「美意識」が引き継がれており、それには無骨な男性より女性が持つ流麗でしなやかな性を是(ぜ) としたからではないかとも思われる。
 生け花の習いはじめのころに、華道は「宇宙を生ける」とか「小宇宙を表現する」などと難(むずか)しいことを教わった。
 今も何となくしか理解出来ていないが、結局は日本特有の和の世界であり、根底には「人」と「自然」と「心」の調和を極めようとしたものと思われる。
 精神文化と言った方がよいのかもしれないが、論理的とされる欧米人も、その目に見えない和心に対しては不思議な魅力を感じるという。

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