日本の気候風土が育んだ国民性
日本人はこれまで「自尊感情(じそんかんじょう)」が低いと言われてきた。自尊感情とは一言でいえば自分を評価する尺度(思い)のことである。日本人がなぜこれまで自分を過小評価してきたのか、その原因は一体何んであったのだろうか。
・欧米コンプレックスと敗戦が原因であったのか!
・西洋人の精悍(せいかん)な顔つきや背格好の逞(たくま) しさへの劣等感があったためか!
・島国根性が抜けなかったためなのか!
・謙虚さと奥床(おくゆか)しさを美徳としてきたためなのか!
とにかく日本人はこれまで自己表現が下手(へた) とされてきた。しかし、近年はグローバル社会になってきたこともあるが、あらゆる面で日本の素晴らしさが見直されている。
特に先祖代々引き継がれてきた勤勉さや礼儀正しさなど、誠実な国民という点においてはすこぶる評判が高い。
〝喜怒哀楽〟の激しい日本の四季は豊かな感性を育て、自然災害の多さは我慢強さと協調性を育ててきた。協調性というより和を大切にするために自己主張をしなかったといった方がよいのかもしれない。
そのために、かつての欧米からみる日本は正に「東洋の神秘」であり、曖昧模糊(あいまいもこ)としてよく分からない国でもあった。
ところが近年は、日本人の相手を気遣うという気持ちが「もてなしの心」や「思いやりの心」につながっていることが理解され、国民性だけでなく日本の文化までもが理解されはじめてきた。
和歌や俳句などの「言(こと) の葉(は) 文学」も、繊細な心配りや詩情を駆り立てる豊かな気候風土がなかったら生まれなかったのではないだろうか。
日本には外国のように権力を象徴するような豪華な建造物はないが、自然美を借景(しゃっけい)とした庭園や木造建築が多く、それがまた外国の人からみると心安らぐ魅力になっているという。
ところが、国内においては近年、日本人が日本人ではなくなってきたという指摘もある。
国際社会が狭(せば) まる現代においては、改めて日本人という民族と国民性を見つめ直してみたい気がする