一茶のおらが村

 「是(これ) がまあ、終(つひ) の栖(すみか) か雪五尺」
 この句は、小林一茶が晩年を過ごした雪深い郷里でのものとされている。本名は信之、通称弥太郎は、雪国信濃国柏原の貧農(ひんのう)の子に生まれた。
 この地方は一里一尺(一里奥に入ると一尺積雪が増える)といわれ、降水量にして梅雨時の約二倍もの雪が降る。当時は今以上に積雪量が多く、冬場は陸の孤島(ことう)ともいえる地区であったと思われる。
 彼は「継子(ままこ) 一茶」ともいわれ、三歳で生母を失い、継母(ままはは)との確執に苦労した。その後、十五歳で江戸に出て、食うや食わずの浮き草暮らしを経験し、晩年になっても骨肉(こつにく)の争いに子供の夭折(ようせつ)、妻との死別など不遇の境涯(きょうがい)を送ったといわれている。
 そのためか彼の作品には、自虐的(じぎゃくてき) なものから悲哀(ひあい)を感じさせるものが多い。中でもお馴染(なじみ) の「われと来て遊べや親のない雀」や、故郷に帰っても誰一人温かく迎えてくれる人はいないという「古郷(ふるさと)や寄るも障(さわ) るも茨(ばら) の花」などからも彼の生涯が窺(うかが) えて身につまされるものがある。
 生まれながらの環境が彼の豊かな感性を育んだのかもしれないが、そこにはやり場のない心の葛藤(かっとう)を俳句にぶつけた執念(しゅうねん)のようなものが感じられる。彼は芭蕉や正岡子規などよりもはるかに多い二万作もの句を作ったとされている。

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