農事暦
二十四節気は、中国の春秋戦国時代に農作業用として作られた暦である。
農作物の作付や作業日程の目安を得るためには何らかの農事暦が必要であった。
この農事暦の作成に関しては太陰暦(月の運行)で行うとズレが大きくて役に立たなかったが、太陽暦(太陽の運行)でやればうまくいく事が分かった。そこで太陽の運行を分かりやすくするために選んだのが太陽の影(かげ) である。
先ず一年の中で最も太陽の影が長くなる日を「冬至(とうじ) 」とし、最も短い日を「夏至(げし) 」とした。
そして冬至と夏至の真ん中には春(春分)があるはずであり、夏至から冬至の真ん中には秋(秋分)があるはずであるとした。
更に冬至から春分の間には「立春」があるはずであり、春分と夏至の間には「立夏」、夏至と秋分の間には「立秋」、そして秋分から冬至の間には「立冬」があるはずとした。
いわゆるこれが「二至二分四立(にしにぶんしりつ)」と呼ばれる「八節(はっせつ)」である。
この八節の間に「雨水(うすい)」とか「啓蟄(けいちつ)」などの言葉を二つずつ埋めていくと、季節感あふれる馴染(なじみ)の言葉が二十四個並び、二十四節気が完成する。
更にこの二十四節気を三分割し、気象や動植物の変化を約五日毎に細分した「七十二候」という短文の季節表現がある。
この季節であれば「東風解凍(こちこおりをとく) 」といえば「春の風が氷を解かし始める」という意味となり、「草木萌動(そうもくめばえいずる)」といえば「草木が芽吹き始める」という意味となる。
「男子三日会わざれば括目(かつもく)す」という言葉がある。男たる者はほんの少し会わない間に目を見開くほどに成長しているという意味であるが、草木の成長も一日単位では分からないが五日も経てば人の目にもハッキリと分かるようになる。
農耕の民は昔から気象や自然界の小さな変化にも目配りをしながら作物を育ててきた。