麦踏み

 近年は麦を踏む光景などとんと見られなくなったが、麦踏みの経験がある人なら一度は「何でこんな惨(むご) いことをするのか」と思ったことであろう。
 子供の頃は、青々と育っている幼葉(おさなば) を踏みつける行為に罪悪感を感じながらも、見よう見まねで麦踏みを手伝った。ところが後になって麦は踏みつけることによって根づきがよくなり、霜や寒さに耐えられる強い苗に育つということを教わった。
 「鉄は熱いうちに打て」とか「愛の鞭(むち) 」というのと同じである。
 耐える季節とか苦難の時代といえば、常に冬に置き換えられるが、人もまた人としての根をおろすには、冬の時代が必要なのかもしれない。
 ある演歌歌詞の「♪冬の寒さに耐えてこそ花も咲きます実もつける」という一節が思い出される。
 あの原爆投下後を生きる「はだしのゲン」の物語も、踏まれても踏まれても強く、真っすぐに伸びる麦の姿がテーマになっているとされている。
 麦は実際に環境に強く、一年中世界のどこかで収穫されている穀物であるが、どちらか といえば中国やアメリカなど大陸性気候を持つ国での栽培が多い。日本のような湿潤な国では麦より稲作の方が適しており、日本はパンではなく米の文化が根付いてきた。
 こんがりとした麦秋(ばくしゅう)風景は、今や心象風景 (しんしょうふうけい) となってしまったが、この時期ほど清々(すがすが)しい初夏の青空が待たれる季節はない。

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