いつの間にか人生八十年時代となった。
 長いようで短く、短いようで長いのが人生であるが、気が遠くなるような人類の歴史か ら見ると、人は同じ世代を生きること自体が奇遇稀(きぐうまれ)とされるほどの一瞬を生きていることになるという。中国ではこれを「人生白駒(はっく) の隙(げき) を過(す) ぐるが如(ごと) し」という。人の一生などは白馬が隙間(すきま) を駆け抜けるようなものであるという意味である。
 それからすると寿命が五十年であろうが八十年であろうが、そんな話は目くそが鼻くそを笑うようなものである。
 中には生きたくても生きられない命や死にたくても死ねない命がある。
 生あるものはどんなに短命であっても、どんなに長命であっても一生の中には必ずそれなりの盛りがあるという。
 命あるものはすべて「生じ滅する」という「諸行無常(しょぎょうむじょう) 」の世を生きていることになるが「生きる」という命題を背負って生きるのは人間だけである。
 子供の頃に自分の死に対する恐怖や死ぬとは何ぞやということを真剣に考えたことがあるが、いざ死を自覚した時に人は何を振り返るのであろうか。
 「春生秋殺(しゅんしょうしゅうさつ)」とは万物は春に生れ、秋には枯れるという自然の摂理を説いた言葉であり、平安時代の和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう) の鮎の項にも「春生、夏長、秋衰、冬死」とある。

 

 

 

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