マラソン

 人はなぜ、あの単調なマラソン画面に長時間釘付けになるのであろうか。
 馴染(なじ)みのない選手であっても、走りっぷりや顔の表情などについつい見入ってしまう。アクシデントなのか体調不良なのか顔がゆがみ、途中で棄権をしてしまう選手などを見ると心が痛む。
 マラソンはよく人生にたとえられるが、42.195キロの道のりを今の自分に置きかえて見るためであろうか。
 自分自身の人生を振り返ってみると本当に歯を食いしばって走ってきたという実感はない。何をするにも中途半端であり、必死になって何かに打ち込んだという記憶もない。
 そのためか、一人のマラソンファンとして自分の限界に挑戦する姿に、人一倍感動するのかもしれない。
 人は好むと好まざるとにかかわらず、この世に生を受けた以上は人生というゴールに向かって走らざるを得ない。その道は人それぞれであり、同じ道など一つとしてない。運、不運もつきまとう。
 とかくこの世は不条理なことも多く、時には迷ったり躓(つまづ) いたり、転んだりすることもある。場合によっては立ち上がれなくなる場合があるかもしれない。
 「面白きこともなき世を面白く棲(す) みなすものは心なりけり」
 これは高杉晋作の辞世(じせい)の句とされており、私が座右の銘としている中の一つでもある。
 どんな世の中であっても心の持ち方次第で面白くも、面白くなくもなるというのである が、精神論としては理解できるが並みの人間にはなかなか難しい。最終的には己に負けず、人に迷惑をかけず、身の丈をわきまえたペースで走り続けなければならないということになるのであろう。
 マラソンはこれまで冬のスポーツとして、風が弱く曇り空で気温が10度以下の日がよいとされてきたが、今や季節を問わない競技となってしまった。 

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