五穀豊穣

 日本では食べ物や食事に対して「お」をつけて呼ぶものが多い。
 おいしいお米・お餅・お酒…などであり、そこには感謝の心が溢れている。
 敬語は一般に丁寧語(ていねいご)、尊敬語(そんけいご)、謙譲語(けんじょうご)の三つに分類され、その対象は主に人に対してであるが食物に対しては珍しい。
 「御飯」などと奉(たてまつ) るような呼び名は特別扱いもいいところである。
 五穀豊穣 (ごこくほうじょう) の五穀とは米・麦・豆・粟(あわ)・黍(きび)(稗(ひえ) )であるが、昔から五穀に対しての思いは命をつなぐ食料として格別の思いがあったのであろう。
 江戸の頃は粟や稗まで食べなければならない時期があったようだが、三度三度に白いご飯が食べられるのが夢という時代は戦後まで続いた。「貧乏人は麦を喰え」と発言した元総理の言葉は今も語りぐさとなっている。
 米作りの作業に関しては「八十八手間」だとか、一粒のコメを作るには百の手間がかかるという「一粒百行(いちりゅうひゃくぎょう)」なる言葉がある。
 昔の稲作は反当(たんあ)たりの収穫量が少なく、今以上に天候に左右された。風水害・冷害・干ばつ・日照不足と気象災害の不安が付きまとった。
 江戸三大飢饉とされる享保(きょううほ)・天明(てんめい)・天保(てんぽう)の頃は一揆や打毀(うちこわ)しが頻発し人間が獣(けもの)と化(か)して筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい修羅場(しゅらば)まで起こったという。その主な原因は、東日本から北日本を中心とした冷たい北東気流(やませ)ではなかったかといわれている。「口減らし」とか「姥捨て山」という言葉が残っているだけでも、当時の時代背景が窺(うかが) える。
 そんな過去を知ってか知らずか、近年はやたらとグルメ番組が多くなっており、若い女性を含めて「おいしい」ではなく「旨(うま) い」が一般的となってきた。飽食(ほうしょく)は国を滅ぼすとか、全世界の人が日本と同じような食生活をすると地球がもう一つ必要になるなどと言われているが、今の日本は美食と飽食があたり前としたような風潮が気になる。
 更に心が痛むのは、世界各地に貧困と食糧難に喘(あえ)ぐ人がいる中で、極端に自給率の低い日本が大量の食べ残しや食品ロス(食べられる食品を廃棄(はいき)すること)を出していることである。
 今年も各地で五穀豊穣を願う神事や伝統行事が行われるが、南の地方からは間もなく先祖の血と汗が沁(し)み込んだ土地への「鍬初め(くわはじ)」がはじまる。

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