阪神・淡路大震災

 阪神・淡路大震災の当日は、大阪管区気象台が入る合同庁舎内の一六階で勤務をしていた。激震と同時にテレビ、水屋、本棚等がぶっ飛び、職場は足の踏み場もない状況となる。
 ただならぬ地震とは感じても、ここはビルが高いので揺れがひどかったのかなという疑念(ぎねん)がぬぐえなかった。
 夜が明けて見たテレビ映像のような惨状(さんじょう)は、とても想像できなかった。
 次々に入る地震電報の中で、神戸海洋気象台と洲本測候所からの未入電は記憶に残っている。それもその筈で両者とも職場は壊滅状態(かいめつ)となり、業務どころではない状況であったという。後日、長年お世話になった神戸海洋気象台の予報現場を覗いて見たが、惨憺たる状況に胸が熱くなる思いがした。
 半信半疑(はんしんはんぎ)でラジオブースに飛び込むも、気は動転しており頭は空白状態、お相手の女性パーソナリティーもまだ脚の震えが止まらないと語っていた。
 とにかく状況が掴(つか)めないままに震度情報と注意を呼びかけた。おそらく直下型で一撃のもとにやられたあの状況下では、教科書的な呼びかけなどは何の役にも立たなかったであろう。
 気象庁は平成19年より「緊急地震速報」の提供を始めたが、これとて震源地が近いと間に合わない。地震の場合はせっかくの生放送であっても一旦起こってしまうと、単なる結果情報となってしまい空(むな)しさだけが残る。
 状況判断が出来なかったとはいえ、あのタイミングでいつも通りの天気予報をしゃべったことに対しては今も自問自答することがある。
 あれほどの惨状は生涯見ることはないだろうと思っていた矢先、今度はその規模を上回る地震と大津波が東北地方を襲い、更には熊本でも起こってしまった。
 自然災害国という宿命を背負う日本列島であるが今後は益々その対策と情報提供のあり方が問われることになる。

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