晩秋の里

 「晩秋」この言葉には里心をくすぐる響きがある。
 秋冷(しゅうれい)の頃になると山あいの里は毎朝のように霧や靄(もや) がかかり、山ひだを舐(な) める雲海にしばしうっとりとさせられる。
 温暖化のためか近年はそんな光景が少なくなったように思うが、雲海とは放射冷却により霧や層雲(そううん)が濃くなって谷間を埋める現象をいう。高台から足下を眺める景色には、異次元の世界に入ってしまったような錯覚にとらわれる。
 やがて彼らが淡く薄らいでくると柔らかくなった秋の陽射しが戻り、ぼんやりと里の風景が浮かび上がってくる。
 人影すらない午後の静けさを破るのは百舌(もず) の奇声くらいのものであり、ここでも時間はゆったりと流れてゆく。
 しかし、山里の夕暮れは早い。傾き始めた太陽は柿の実や赤い櫨紅葉(はぜもみじ)を一層際立(きわだ) たせるが、秋の陽はつるべ落しである。夕なずむ間もなく里の秋は帳(とばり) に包まれていく。
 晩秋という季節には、日本人が遠く忘れていたものを蘇らせてくれるような優しさがある。

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