明石海峡

 「淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」(源兼昌)
 源平の合戦の舞台ともなった須磨から明石にかけての海岸線が、秋色の中に美しい景観を醸(かも) し出している。
 この景観は「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」の句でお馴染みであるが、おそらくその当時は白砂青松の沿岸が延々と続き、この季節であれば淡路島も一跨(ひとまた)ぎできる程の距離に見えていたことであろう。
 往時、難波津を発した船は須磨で潮待ちをしたあと一気に明石海峡を渡り、魚住の泊から室津方面へ下ったという。
 大阪湾と播磨灘を結ぶ明石海峡は潮流が速く、鯛に蛸と日本でも屈指の漁場として名を馳(は) せているが、室津の方は「お夏清十郎」と「遊女の発祥地(はっしょうち) 」として知られる。
 今ではこの海峡に世界最長の大橋がかかり、当時を偲(しの) ぶ面影はなくなっているが、一日千隻近い船が通るといわれる明石海峡が、船にとっての難所であることに違いはない。
 海峡をまたぐあの大橋脚は(だいきょうきゃく) 、季節ごとに千変万化する天気、風向風速、潮流、潮汐などの気象観測を始めて三十年以上の歳月を要して完成した。そのデータ整理に多少なりとも係(かか)わったが、当時はコンピューターが普及しておらず、波高の読み取りなどはデバイダーでの人海戦術であった。
 完成後、凄(すさ) まじい勢いで流れる潮流を眼下に、舞子から淡路島まで徒歩で渡ったが、よくぞこんな工事が出来たものだと感嘆しつつ時の流れを感じたものであった。

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