時代を恨まず

 ある図書館であったと記憶しているが、そこで読んだ特攻隊員の手紙が忘れられない。
 当時、特攻基地であった鹿児島県の「知覧(ちらん)」という地名も、この時はじめて知った。手紙は「父上様、母上様への感謝文」から始まり「祖国のため行ってまいります」というような内容のものが多かった。
 当時は儒教的な考えや長幼の序といった思想が色濃く残っており、父母や年配者を敬(うやま) う言葉こそあれ、恨節(うらみぶし) などは一言もない。当時の軍国教育と恥の文化の中で日本人の優しさだけが見え隠れする。
 二十歳そこそこの若者が死出の旅に出る前の心の葛藤(かっとう)やいかばかりであったであろうか。
 おそらく家族の顔や短かった故郷の思い出が里景色と共に何度も何度も浮かんでは消え、消えては浮かぶ日々であったであろうことは容易に察しがつく。
 読んでいるうちに込み上げてくるものがある。
 明治維新の立役者であった高杉晋作は、どんな時代であっても心の持ち方次第であり、時代を恨むことはないという句を残しているが、果たして特攻青年の場合はどうであったのであろうか。
 その心境を自分に置き換えてみても、いくら考えてみても思いはめぐるばかりである。
 彼らは二度と日本の地を踏むことはなかったが、戦後の帰還兵(きかんへい)が熟(う) れた柿の実を見て「日本の色だ」と語ったという話が忘れられない。

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