「らしさ」

 昭和40年代であったであろうか、教育現場をはじめ全国的に「男らしさ」、「女らしさ」というのは差別ではないかという風潮が高まった。以来、梅雨も男性的とか女性的という言葉は使わなくなり、アメリカ女性の名前をつけていた台風名も廃止された。
 山陰・山陽という言葉はまだ残っているが、同じころに表日本とか裏日本という表現も消えた。
 看護婦さんから看護師さんと呼び名が変わった時のあるラジオ対談で、医療界の重鎮が「私は看護師という名前は嫌いなのであえて看護婦さんと呼ばせてもらいます」と前置きして本題に入ったことがあった。当時は男の看護婦なんてとんでもないという感覚がぬぐえず、個人的にもよくぞいってくれたと拍手を送ったものであった。
 そこには価値観や社会構造の変化もあるだろうが、男女は平等であっても同質ではなく、本来の性(さが)の違いは何なのかというところに議論の根源が潜んでいたような気がする。
 広辞苑で「自然」をひも解くと「もとのままの状態」、「もとから備わっている性質」、「無理がない様子」とある。習慣とか文化とかが入ってくると話はややこしくなるが、世界的に女性が着飾り、化粧をするのは自然発生的に生まれたように思えるがどうなのであろう。
 今年も悪名高き日本の夏がやってくるが、近年はではなく、「よくぞ男に生まれけり」「よくぞ女に生まれけり」といった服装の女性が目立つようになってきた。
 「らしさ」の感覚も時代と共にずいぶん変わった。

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