昭和の夏

 蝉の声にも鳴き疲れが見える夏の昼下がり、熱気を切り裂(さ) くようにチャリン・チャリンの音が聞こえてくる。
 自転車の荷台にアイスキャンデーという幟(のぼり) を掲(かか) げたおじさんである。そのおじさんが通り過ぎないうちに急いで母と交渉し、妹の分と2本のアイスキャンデーを買って貰っていた。中でも先っぽの方に小豆(あずき) が集中していたアイスキャンデーは、手元の方から食べ始め、美味しさを最後に残していた記憶がある。
 その後であろうか、スティックに「あたり」、「はずれ」の刻(きざ) まれたアイスキャンデーが駄菓子屋(だがしや) に並んだ。日本人の国民性にギャンブルは似合わないと思っているが、今にして思えば最初にギャンブルの味というものを知ったのは、あの「あたり」であったような気がする。
 当時は、紙芝居のおじさんや行商のおばちゃんもやってきた。紙芝居を見るには飴玉(あめだま) か昆布巻きのお菓子を買うことが条件であり、行商のおばちゃんには現金がない時はお米で支払いをしていた。
 おじさんも、おばさんも自転車で、いつも炎天下の中を同じような時間帯に回ってきていた。今から思うと本当にあれで生計を立てていたのであろうかと思う。
 当時の貧乏は相身互(あいみたが)いであり、恥じるものではなく皆必死に生きていた。「協働共助」といえば堅苦しいが、その頃は貧(まず) しい生業(なりわい)の中にも優しさと助け合いの心が溢(あふ) れていたような気がする。
 「惻隠(そくいん)の情」という言葉がある。一言でいえば「思いやりの心」であるが、今は日本人から消えつつあるのではないかと危惧されている。
 「早よう大きゅうなってお母ちゃんの手伝いをしいや!」とのおばちゃんの声が思い出される。

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